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彩子と山口は、展示する作品をとりあえず全て並べ、後で配置がおかしい場所を入れ替えることにして、先程からずっとその作業を続けていた。部屋の隅に立て掛けてある絵を額に入れ、並べていく。どの絵をどの額に入れるか、それを決めるのは山口の仕事だった。彩子は、言われた通りに額に入れ、展示する場所まで運ぶ。延々その単調な作業を繰り返すのだ。二人は、最初こそぎこちなさや違和感を感じていたものの、僅か数分でそれらは払拭され、学生時代のような関係に戻りつつあった。彩子は山口と話しながら、卓也のこと、純のこと、そして今の生活のことなどいろいろなことを考え、当時と比較しながら、先程の「彩子は変わった」という山口の言葉を反芻していた。確かに、学生の頃と比べたら、変わらないはずはなかった。しかし、それが大人になることだと一言で言ってしまえるほど大人でもなかった。ではどういう事かと言うと、それは簡単なことで、「学生気分が抜けた」ということなのだった。それは、自分の行動に自分で責任を取るという自覚を持つこと、と言い換えられるかも知れない。現在、彩子は助手という立場だが、これから仕事を覚え、やがて独立してひとりで仕事をし、収入を得ていかねばならないのだ。その覚悟が、彩子の変化だった。そして、裏表の無かった彼女にそれが生まれていたことに、山口が強く反応したのは、山口自身の焦りでもあった。未だ学生の自分と、社会
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人の彩子、そこには、かつての同級生たちから自分だけが取り残されているような、一種の疎外感、嫉妬と焦りが、山口にそう言わせたのだった。しかし、それには山口自身も気付いていなかった。
彩子がそうやってあれこれと考えている間も、山口は一枚一枚の絵の前に立ち、真剣な眼差しで眺め、近付いたり遠ざかったりしながら腕を組んでは、その絵を飾る額を決めていた。山口が大学から借りてきた額はメッキ塗装の豪華なものと簡素なもの、それから写真立てのような木製のものと三種類あって、さらにその種類毎に幾つかのサイズがあり、だから割と融通の利く選択が出来るようになっていた。しかし、時折判断しかねるのか、 「どう思う? 彩子」と訊いてきたので、その都度彩子は考えを止めなければならず、最初のうちは手伝いに来たのだから、と自分に言い聞かせていたがそれが五回も続くとさすがにめんどくさくなって、 「はい、オッケー。次、次」と軽くあしらうようになった。そこで始めて、山口は自分が彩子に頼っていることに気付いて、少し恥ずかしくなると共に、今ここに彩子が居てくれたことに感謝した。 山口は気を取り直して、てきぱきと仕事をし、その後は順調に進んでいった。彩子は単調な作業があまり苦にならないらしく、マイペースで時折鼻歌交じりに作業をしていた。ふと、彩子はまるで自分が個展を開くかのような気分になってきているのに気 - 36 -
付いた。彩子もまだ駆け出しではあるものの、いくつかの写真展に入選している実績もあり、他人に見せられる出来の作品も増えてきた。以前から個展への憧れはあったが、今回の山口の個展を実際に自分で感じて、その憧れがとても身近な、現実味を帯びたものになったような気がしていたのだった。
彩子は手に持っていた額縁を壁に飾り、周囲をぐるりと見渡した。ここでもいいな、と彩子は思って、つい口元が緩んだ。そうだなあ、照明は増やして。音楽とかかけちゃってさ。クラシック? いやいや。ポップなカワイイのがいいなぁ。誰にしようか。なんちゃって。まだ早いよね、それは。あ、この間の樹氷とかいいかも。寒かったけどイイの撮れて良かったなー、あとはやっぱり去年の夏祭りね。露出失敗して良いのが撮れちゃったっていうのが癪だけど。んー、やっぱりこの額合わないかもなぁ。でもこれヤマさんの趣味だもんねぇ、言わないほうがいいかな? 彩子は少し遠くからその額を眺め、それから隣に飾った額の前に立って、そこから斜めに眺め、その後でまた正面から眺めた。すると、その動作が気になったのか、 「彩子、何かおかしいか?」 と山口が訊ねた。彩子は即座に首を振って、 「ううん、別に」 と言って、ちょっと考えた。そうよ。あたしは変 - 37 -
わったの。だから言わないんだ。言わない言わない、言わない。んー。もう。あんなこと言われると、気にしちゃうじゃないの。ねぇ。
「やっぱ変」 彩子は振り返ってそう言うと、肩をすくめてはにかんで見せた。すると山口も笑って、 「わはは。 よく言った。じゃあ変えるから持ってきてくれよ」 と手招きをした。彩子はにこにこ笑いながら、やっぱりはっきり言えるのっていいな、と思った。学生の頃、美術系ということもあり、割と自由な生活だったとは実感していたものの、実は『割と』どころかものすごく自由にさせてもらえていたんだと、社会に出てから気付いた。大学の課題なども、面倒だと思っていたことが実は全くそうではなくて、自分の撮りたいものと客に撮らされるものの差を埋めることほど面倒なことはないと知った。不意に彩子は、自分は弱くなったんだな、と思った。実際、当時の卓也のことを思いだすと、いつも先生と対立していたような気がしたし、自分も割とそうだった気がするのだった。相手とぶつかって、自分の主張や主義を相手に示すことをしなくなったのはいつからだろう、と彩子は考えてみた。しかし、大体の時期は分かっても、はっきりとしたものは分からなかった。あまりにも曖昧で、判断しかねるのだった。 - 38 -
だけど、と彩子は考えた。我を通すことが自由ということではないもんね。我儘なのはただの子供。自由っていうのは自分に責任を持てる強さのことだもんね。そう考えると、卓也って飛び抜けてるのかな。いや、どうなんだろ。ちょっと、違う気もするな。ヤマさんはどう考えてるんだろ。そういえば、聞いたことなかったな。
「あのさあ。ヤマさんは、卓也のこと、うらやましいとか思うの?」 「ん、どうして?」 突然のことで山口は戸惑いを見せたが、 「そうだなあ」とそのまま少し考えるような素振りをしてから、 「うらやましいっていうかさ。まあ、あいつはあいつなりによく頑張ってるとは思うよ。でも、オレはあいつみたいな描き方はできないし、しようとも思わん。オレは室内に籠もって描きたいからな、分かるだろ?」 とそこで山口は彩子に同意を求めた。彩子は大きく頷いていた。 「な、だから結局方法論なんだよ、あいつは自分の方向性と、描き方のスタンスを極めたら、ああなった。オレも、自分のやりやすい方法をいろいろ試していたら今のやり方になった。才能は努力によって結実するっていうけどほんとだな、自分の求めるものをこう、何て言うんだ? ほら、うん、試行錯 - 39 -
誤。そう、試行錯誤して、選択肢を減らしていって辿り着くんだろうな。オレもあいつも、変わらないよ。もちろん彩子もな」
彩子は、そうだね、と言って運んできた額から絵を外して山口に渡した。 「ただな、あいつは彩子が思ってるほど自由気ままではないと思うぞ。それぞれに立場っていうものがある。オレもそうだし、彩子だってそうだろ。人はとかく、自分のことしか見えないからな。どうして自分だけ、なんて隣の芝を青く見過ぎてると鬱病になっちまうよ。何もない、本当の意味で自由奔放な人なんていないよ。みんな自分の立場に縛られてるんだもんな」 彩子はもう一度、そうだね、と言った。自分が求めていた返答を山口が完全に答えてくれたわけではなかったが、彩子は一応自分なりに納得できたような気がした。 「でもね。あたしはやっぱり、卓也はすごいと思う。自分の責任で、自分一人の力で生きてるんだもん。それは、まだあたしには出来ないな」 「ああ、それは同感だな。でもそれは卓也が自分で選んだ人生だからな。オレも自分で選んで今ここにいるし、彩子もそうだろ。そういう意味では、みんな一緒だよ」 彩子はぷっと笑った。 「ね、ヤマさんってそんなに前向きな人だったっ - 40 -
け。そうだねぇ、うん。そうだよ。あたしも頑張ろうっと」 彩子は、やっぱり今日はここに来て良かったな、と思った。 「おう、頑張ってくれ」 山口は茶化すような言い方をしたが、その目は戯けていなかった。山口は口にこそ出さなかったが、次はお前の番だと言いたかったのだ。それは彩子にも伝わって、もし、自分が個展を開くことになったら、ヤマさんに手伝ってもらおう、と考えていた。 - 41 - ← 18〜34頁 | ↑ページトップ | 42〜54頁 → | |